心療内科ってなぁに? 第167回 心の成長5 症状は、体から心へのメッセージです

 “心”は“体の運転手”。「症状を減らしたい」「元気になりたい」「健康を保ちたい」。そのためには、体(脳と身体)の声に耳を傾け、無理をさせすぎず、上手にいたわることが必要です。つまり、“養生”の技術が大切になります。

 

 私たちの体は、常に変化する環境の中で生きています。暑さや寒さ、感染、外傷、睡眠不足、過労、心理的ストレス、人間関係の緊張など、体に加わる負荷は多様です。それでも私たちが日々生活できるのは、体の中に恒常性を保とうとする仕組みがあるからです。体温、血圧、血糖、水分、酸素、免疫反応、睡眠と覚醒のリズムなどは、神経系、内分泌系、免疫系の働きによって絶えず調整されています。

 

 この調整がうまく働いているとき、私たちは自分の体をあまり意識しません。呼吸していること、心臓が動いていること、体温が保たれていることを、ふだんは特別に感じません。しかし、負荷が強すぎたり、長く続いたりすると、体の調整機構にひずみが生じます。そのとき、発熱、頻脈、血圧上昇、炎症反応、痛み、だるさ、息苦しさ、不眠、不安感などが現れます。これらは単なる「故障」ではなく、体が何とかバランスを保とうとしている結果でもあります。

 

 ここで大切なのは、サインと症状を区別することです。サインとは、他者が観察したり測定したりできる客観的な変化です。発熱、血圧上昇、脈拍の増加、検査データの異常、画像所見などがそれにあたります。一方、症状とは、本人が主観的に体験する苦痛や違和感です。痛い、だるい、息が苦しい、めまいがする、不安で落ち着かないといった体験です。

 

 つまり、サインは体に起きている客観的な変化であり、症状はその変化、あるいは変化の予兆を、本人が苦痛や異常として受け取ったものです。別の言い方をすれば、症状とは、体に生じた変化を心が受け取った形です。体が何かを知らせ、心がそれを「つらい」「おかしい」「危ないかもしれない」と感じます。その接点に症状があります。

 

 しかし、サインと症状はいつも一致するわけではありません。重い病気があっても、本人があまり症状を感じないことがあります。反対に、検査では大きな異常が見つからなくても、強い疲労や痛み、息苦しさ、動悸を感じることもあります。このずれは、臨床でよく経験されます。そこには、体の状態だけでなく、注意の向け方、過去の経験、予期不安、ストレス状態、身体感覚への敏感さなどが関わっています。

 

この視点に立つと、症状を「異常があるか、ないか」だけで判断することはできません。もちろん、器質的な病気を見逃さないための診察や検査は不可欠です。命に関わる病気や治療が必要な病気を除外することは、医学の基本です。しかし、それだけでは症状の意味を十分に理解できないことがあります。どのような負荷がかかっていたのか。体はどのように調整しようとしていたのか。その結果、何が苦痛として感じられたのか。そして心はそれをどのように意味づけたのか。そこまで含めて考える必要があります。

 

 たとえば、強いストレスが続くと、交感神経が高まり、心拍数が増え、呼吸が浅くなり、胃腸の働きが乱れ、睡眠が浅くなることがあります。これらは本来、危機に対応するための反応です。しかし、その状態が長く続けば、動悸、息苦しさ、胃部不快感、不眠、疲労感として現れます。体は守ろうとして反応しているのに、その反応自体が苦痛になっていくのです。

 

 このように考えると、症状は敵ではありません。症状は、体という道具からの警告であり、心へのメッセージです。「このままでは負荷が大きすぎる」「休息が足りない」「生活の方向を見直した方がよい」と知らせている場合があります。車の警告灯が点いたとき、警告灯だけを消しても本当の解決にはなりません。なぜ警告灯が点いたのかを確認し、必要なら修理し、運転の仕方を見直す必要があります。

 

 症状も同じです。痛みや疲れや息苦しさを、ただ消すべきものとして扱うだけではなく、それが何を伝えているのかを読むことが大切です。そこに、心の成長の一つの入り口があります。成熟した心は、症状に振り回されるだけではなく、症状を手がかりとして自分の状態を理解しようとします。体の声を聴き、必要な治療を受け、生活を整え、無理の少ない方向を選ぼうとします。

 

 症状は苦しいものです。しかし、その苦しさの中には、体から心への大切な知らせが含まれています。心の成長とは、その知らせを恐れるだけでなく、丁寧に読み取り、自分の生き方を調整していく力を育てることでもあります。

 

国立病院機構 福岡病院 心療内科 平本 哲哉