心療内科ってなぁに? 第95回 心と体の関係⑪ どうして体の教習所が無いの?

第95回 心と体の関係⑪ どうして体の教習所が無いの?

 心は“体の運転手”。第3週は“体の扱い方” “運転技術”について書いています。心の成長(英語ではCoro Heartの成長)= 運転技術の習得、についての話です。

 

 車を運転するには自動車運転免許が必要です。法律で決まっています。どうしてでしょうか?

 

 運転免許を得るためには、学科と技能(運転技術)の試験を受けて合格する必要があります。試験に合格するために、通常、自動車の教習所に通って、学科教習と技能教習を受けて仮免許を取ります。その後、公道での練習を重ねてから本試験を受け、合格してやっとこさ運転免許を得ることができます。初めて車に触って、車が“ガックン” “ガックン”とエンストをずっと繰り返しているのに、指導員は顔を窓に向けて「ムスッ」と50分の間何も教えてくれなかった。嫌だったな~、教習所の先生は怖かったな~、という記憶がよみがえってきます。今はそのようなことはなく、優しく運転技術を教えてくれると思います。

 

このように、免許を得るには多くの時間が必要ですが、どうしてこのように苦労して、時間やお金をかけて免許を取らないといけないのでしょうか?

 

 それは、事故を起こさないように、安全に車を運転できるようになるためです。運転技術が未熟なのに、好き勝手に車を運転したらどうなるでしょうか?雨の日にワイパーの動かし方を知らないとどうなる?方向を知らせる方向指示器(ウインカー)の出し方を知らなかったらどうなる?細い道でスピードを出し過ぎる、もしくは高速道路で遅すぎる車がいたら、他の車はどうなるでしょうか?車の構造は複雑で、安全に使うためには色々な事を覚える必要があります。車は大きいものでスピードも出ます。ルールを守って使わないと他の人を傷つけてしまいます。もちろん、運転するための技術も必要です。構造が複雑になればなるほど、道具を使うためには知識と練習が必要となってきます。安全に故障が無いように使うためには、技術を向上させていく必要があります。

 

さて、体をみてみるとどうでしょう。健康について考えていると「どうして体の教習所が無いの?」と感じます。

 

 車と体、どちらが複雑な構造になっていると思いますか?車の構造も複雑ですが、劣らず、体も複雑な構造を持っています。私達は生まれてきからずっと複雑な体を使っています。小さい頃は単に歩く、走ることでさえぎこちなく行っていたのですが、練習するうちに(毎日使っているうちに)いつの間にか体を上手く使えるようになっています。大人になった今は、確かに体を自由自在に扱えるようになりましたが、果たして私たちが望んでいる通りに、意図的・効果的に体を使えているでしょうか?外来の診療の中で、「脳」や「身体」の色々な症状にたずさわっていると、私たちは“なんとなく”体を使っているのだなぁと感じています。

 私たちは“体を使う技術”について、意識が少ないように思います。健康に安全に、そして楽しく人生をドライブするためには、教習所が必要だと思いませんか?このブログを書き出して2年たちました。これまで、「脳」の話題を中心に関連する症状や使い方について書いてきました。少し視野を広げて、「体全体=脳+身体」の使い方、「行動」や「メインテナンス」について書いていこうかなと思います。

 

国立病院機構 福岡病院 心療内科 平本 哲哉