心療内科ってなぁに? 第165回 体は成熟しても、心の成長は続いていきます

 “心”は“体の運転手”。「症状を減らしたい」「元気になりたい」「健康を保ちたい」。そのためには、体(脳と身体)の声に耳を傾け、無理をさせすぎず、上手にいたわることが必要です。つまり、“養生”の技術が大切になります。

 

 人の成長というと、私たちはまず体の成長を思い浮かべます。子どもは背が伸び、筋肉がつき、骨格が整い、やがて大人の体になっていきます。医学的にみても、身体の成熟には一定の時期があります。骨格や骨量は思春期から若年成人期にかけて大きく形成され、将来の健康を支える基盤になります。脳もまた、子どもの時期に完成するわけではなく、特に前頭前野を中心とした高次の制御機能は、思春期から20代前半頃まで発達が続くと考えられています。

 

 このように考えると、人の体は20代頃までにおおむね成熟していくと言えます。しかし、ここで大切なのは、体が成熟することと、人として成熟することは同じではないという点です。体が大人になったからといって、その体を上手に扱えるとは限りません。車にたとえるなら、車体やエンジンが整ったとしても、それだけで安全な運転ができるわけではありません。性能のよい車でも、運転手が未熟であれば、無理な運転をしたり、警告灯を見落としたりして、故障や事故につながります。

 

 人の体も同じです。体が成熟するとは、「生きるための道具」が整うことです。しかし、その道具をどのように扱うかは、また別の問題です。どれほど健康な体をもっていても、睡眠を削り続けたり、過度な緊張を抱えたり、疲労のサインを無視し続けたりすれば、やがて体は悲鳴をあげます。反対に、年齢を重ね、体力が若い頃より低下しても、自分の体の癖や限界を理解し、負荷を調整しながら生活できる人は、安定した日々を送ることができます。

 

 臨床の場では、このことを強く感じます。もし体の成熟がそのまま健康の完成を意味するのであれば、若い頃には病気や症状は少なく、高齢になるほど成熟によって病気が減ってもよいはずです。しかし現実には、年齢を重ねるにつれて、生活習慣、心理社会的負荷、身体的負荷、環境要因が積み重なり、病気や症状は増えていきます。つまり、体の成熟はゴールではなく、むしろ出発点なのです。

 

 では、その体をどう扱うのでしょうか。ここに「心の成長」というテーマが現れます。ここでいう心とは、単なる気分や感情のことではありません。体からの信号を受け取り、感情や考えと結びつけ、行動を選び、自分の人生を方向づけていく主体のことです。私はこれを心、あるいは Coro Heart と呼びたいと思います。Coro Heart は、体の状態、情動、認知、行動、対人関係をつなぎながら、その人の生き方を支える中核的な働きです。 心の成長とは、知識が増えることだけではありません。自分の限界を知ること、疲れに気づくこと、無理をしている自分を止められること、助けを求められること、他者との距離を学ぶこと、感情に振り回されずに扱うことです。そのような具体的な生活の中に、心の成熟は現れます。

 

子どもの頃は、体の成長が前面に出ます。食べたい、眠い、遊びたい、安心したいという欲求が中心になります。しかし成長するにつれて、人は認められたい、役に立ちたい、誰かとつながりたい、仕事を成し遂げたいといった、より複雑な目標をもつようになります。その一方で、体は常に信号を送り続けています。疲れているのか、緊張しているのか、安心しているのか、無理をしているのか。心が成熟するとは、そうした体の声を無視するのではなく、人生の方向を決める大切な情報として受け取れるようになることでもあります。

 

 体は20代頃までにおおむね成熟します。しかし、心の成長はそこで終わりません。むしろ、大人になってからこそ、自分の体をどう扱うのか、自分の人生をどう運転するのかが問われます。心の成長とは、体という道具を大切に扱いながら、自分らしい生き方を少しずつ学んでいく過程なのだと思います。

 

国立病院機構 福岡病院 心療内科 平本 哲哉