心療内科ってなぁに? 第169回 心の成長6 養生とは、自分の人生を上手に運転することです

 “心”は“体の運転手”。「症状を減らしたい」「元気になりたい」「健康を保ちたい」。そのためには、体(脳と身体)の声に耳を傾け、無理をさせすぎず、上手にいたわることが必要です。つまり、“養生”の技術が大切になります。

 

 人はどのようにして、自分の体の状態を知るのでしょうか。疲れている、緊張している、お腹がすいている、息が苦しい、眠い、安心している。これらはすべて、体の内側から届く信号です。近年、このような身体内部の信号を感じ取り、意味づけ、調整に結びつける働きは、内受容感覚と呼ばれています。

 

 内受容感覚は、単に体の感覚を受け取るだけの機能ではありません。心拍、呼吸、空腹、口渇、吐き気、腸の動き、疲労感、息苦しさなどの信号を脳が受け取り、「今、自分の体に何が起きているのか」を理解する仕組みです。そして、その理解は感情や行動と深く結びついています。私たちは、体の内側の変化を手がかりにして、「不安かもしれない」「少し休んだ方がよい」「ここは危険かもしれない」「今は安心してよい」と判断しています。

 

 内受容感覚が弱すぎると、体のサインに気づきにくくなります。疲れているのに休まない。空腹や睡眠不足を無視する。緊張が続いているのに、そのまま頑張り続ける。その結果、気づいたときには体調を大きく崩していることがあります。一方で、内受容感覚が過敏すぎる場合もあります。少しの動悸や息苦しさを重大な危険と感じ、不安が強まり、さらに身体感覚が増幅されます。どちらの場合も、体の信号を適切に読み取ることが難しくなります。

 

 この能力は、生まれつき完全に決まっているわけではありません。子どもは最初から、自分の体の状態を上手に言葉にできるわけではありません。お腹がすいた、眠い、怖い、疲れた、寂しいといった感覚は、周囲の大人との関わりの中で少しずつ言葉になっていきます。「お腹がすいたね」「びっくりしたね」「疲れたから少し休もう」「眠くなってきたね」と声をかけられることで、子どもは体の感覚と感情と言葉を結びつけていきます。

 

 この過程は、心の成長にとって非常に重要です。自分の体の内側で何が起きているかを理解できるようになることは、自分の感情を理解することにつながります。感情を理解できるようになることは、行動を調整する力につながります。つまり、体の声を聴く力は、自己理解、感情調整、対人関係、意思決定の土台になっています。

 

ここで「養生」という言葉の意味が見えてきます。養生とは、ただ病気を避けるための生活上の注意ではありません。心が体を支配することでもありません。むしろ、心が体と協調しながら生きる技術です。睡眠、食事、休息、呼吸、身体活動、人との距離、情報の取り入れ方、仕事量の調整、これらはすべて、体という道具のメインテナンス法であり、同時に人生の運転法でもあります。

 

 同じ体をもっていても、使い方によって故障の仕方は変わります。無理を続ければ、体は警告を出します。警告を無視すれば、症状は強くなり、病気につながることもあります。反対に、体の声を早めに受け取り、休息をとり、負荷を調整し、必要な援助を求めることができれば、症状の悪化や再発を防ぐことにつながります。成熟した心とは、我慢強い心のことではありません。自分の限界を知り、必要なときに止まれる心です。

 

 人生の方向性もまた、体を通して見えてくることがあります。ある生き方をしていると、不眠、息苦しさ、胃の不調、疲労感が続きます。別のあり方を選ぶと、呼吸が深くなり、食欲が戻り、体が軽くなることがあります。もちろん、すべてを体調だけで判断することはできません。しかし、体の反応は、その生き方が自分にとって無理の少ないものかどうかを知る一つの手がかりになります。

 

 人はしばしば、頭の中だけで人生の目的を考えようとします。しかし、心だけを直接見つめても、答えが見えにくいことがあります。むしろ、どのような生活で体が安定するのか、どのような人間関係で呼吸が楽になるのか、どのような働き方で疲労が蓄積しにくいのかを丁寧に観察することで、自分に合った方向が見えてくることがあります。車の目的は、運転手の頭の中だけを調べても分かりません。実際にどこへ向かい、どの道で無理が出て、どの速度なら安定するのかを見ていく必要があります。人の生き方も同じです。体という道具の構造や限界を知り、その声を聴きながら、心がより無理の少ない運転法を学んでいきます。その営みが養生です。

 

 心の成長とは、体を超越することではありません。体を大切に扱い、体の声を聴き、自分の人生をよりよく運転していく力を育てることです。病気と健康の視点から人の成長を考えることは、体の成熟を超えて続く、この運転の成熟を見つめることにほかなりません。

 

国立病院機構 福岡病院 心療内科 平本 哲哉